12/5 諦める強さと弱さ

大人になって諦める事を知ったら、凄く弱い人間になった気がする。

 

若い時の全能感とか、真っ直ぐな正義感とか、人を諦めないで闘う姿勢とか、その全てを担う底知れぬエネルギーとか。それらは全部どこに行ってしまったんだろう。

 

闘う価値があろうとなかろうと真っ正面からぶつかってきたけど、今は闘う価値があるかどうかを気にするようになってしまった。そして、勝手に闘う価値がない人だと判断したくせに、勝手に寂しい気持ちになる。相手にもっと要求してしまう身勝手な大人になった気がする。諦めることでストレスが軽減される一方、圧の無さに不安を覚えた。

 

 

それが悲しくて悲しくてしょうがない。

 

 

ライバルの敵を失った勇者というか、何というか。自分の存在価値や定義をするのが難しくなってきた。

 

モヤモヤ状態での夜中の独り言でした。


おしまい。

 

8/5 ゆめ

先日インドの友人が、わたしが彼女の結婚式にわざわざインドまで来てくれて嬉しかった夢をみた、と連絡をくれました。

 

自分が誰かの夢に現れるってなんだか不思議だけど、素直に嬉しいですね。

 

それで彼女は嬉しくなってわざわざ私にその夢を見た旨を伝えてくれたのですが、言葉に出したら叶うから!と言ってました。

 

不思議なことで、日本では日本古来の言葉遊びの類いなんですけど、「話す」は「放す/離す」に通ず、ということで、悪い夢は人に話すと正夢にならないで、逆に良い夢は話してはいけないと言われてるんですよね、

だけどインドでは言葉に出すと叶うようで、そんなカルチャーの違いが面白くて、ふふふって嬉しくなっちゃって。笑

 

私も先日、すごく下らないことがきっかけですごく辛くなる夢を見て、目が覚めた頃には凄く落ち込んでいたのですが、それを友人に話したところでやっとそんな夢の世界は、実際に現実では起こりえないだろうって気がつきました。

 

自分の中で燻ってるであろう感情が、うねうねと自分の夢の中で具現化していくから、話してその感情を自分から切り離してあげると、やはりいいのかもしれない。

 

ここのところ塞ぎ込みがちだったから、もっと気持ちを誰かに伝えてみよう、と思いました。

 

 

おしまい

 

 

 

6/30 家庭

 

最近食べても食べても満たされない。唯一と言っていいほどの楽しみが食べることなのに食事が楽しくない。

 

まず食卓が楽しくないのだろう。

 

誰よりも先に食べ始め、おかずが少ないだの味が薄いだの文句ばかり言って何にでも醤油をかけまくる父親

 

それに怒って不機嫌になる母親

 

無言で食べ続け、聞かれるまで何も感想を述べない弟

 

それに怒って不機嫌になる母親、父が食べ終わる頃にやっと座れる。全員いるのに結局1人で食べることになる。

 

こんなの家庭の意味があるのだろうか、同じ時間に同じ食卓を囲めるのに、噛み合わない家族。

 

いつからこんな家族になったのだろう。もう昔みたいにまとまりがあって楽しい食卓に戻れないのだろうか。

 

悲しい。

 

食卓が楽しい家庭はきっといい家族だから。それを目標にいつか家庭を築きたい。

 

 

おしまい

 

 

6/20 インターネットはこわい

ずっと自分のせいだと思って責めてきたことも、意外な結末を迎えることがある。

 

あーセイセイした。

 

これで自分を責めずにいられるし突っ掛かりもとれた。逆に今までこんなことのために悩んでいたのかと思うと凄く恥ずかしいけど、まあタイミングもタイミングなので、潔い気持ちで前に進めそうだ。

 

神はちゃんと見ているのかもしれない、ね?

なんてね。

 

おしまい

6/15 終わりの見えない戦い

なんだか心につっかえてるはなし。

 

先日、アメリカ演劇界で最高の栄誉とされるトニー賞で、ミュージカルの演技部門では主演と助演の4つの賞を史上初めてすべて黒人の俳優が受賞しましたね。

  

アメリカでは、映画界で最高の栄誉とされるアカデミー賞で今年の演技部門の候補が全員、白人だったことで「人種差別ではないか」と反発が広がりましたが、今回トニー賞では対照的な結果になり話題となっています…

 

なんだか納得がいかないのは私だけでしょうか。

 

人種差別はとてもデリケートで難しく未だ根強い問題です。アメリカは世界で1番人種差別が起こり、そして1番人種差別に取り組んでる国だと思います。

 

しかしそんなアメリカでも「アカデミー賞で白人が受賞したからトニー賞では黒人でバランスを取ろう」などという考えがあったのではないかと思わざるを得ません。

 

一般的に人種差別は、白人が黒人を差別するという構図だと思われがちですが、今回は逆のような気がします。黒人差別をしないために白人を差別する、これのどこが人種の平等性でしょう?

 

アカデミー賞で受賞者が全員白人だったのは本当に人種差別からなのか?実力があった人がたまたま全員白人だっただけなのでは?そのカウンターとしてトニー賞で全員黒人が受賞したのが、アカデミー賞の批判を受けてのことであったら、白人の方で実力があったがタイミングが悪く受賞されず芽を摘み取られた人もいるかもしれない。

 

肌の色で悪い方向に物事を進めるのもそうだが、優遇するのもまた、差別であるのではないでしょうか。

 

アカデミー賞の受賞結果が人種差別によるものではないのであれば、批判など気にすることなく胸を張っていればいいものです。トニー賞で黒人を全員受賞させたのは、あたかもアカデミー賞は人種差別をしていましたと宣言しているようなもの。

 

人種差別だと思われないためにバランスをとるような真似は結果的に人種間で何かしらの区別している証拠、こんな考え方が未だにあるのでは人種差別は無くならないでしょうね。

 

 すごく残念な気持ちになったニュースでした。

 

 

おしまい

 

6/12 許し

見たくないものをみた。息が止まった。

 

体は強張り、目は見張り、頭に血が上った。手を固く握り締め、歯を食いしばった。

 

まだ騒つく胸中が、あの人をまだ許してないことを教えてくれた。

 

トラウマは、簡単に消し去れないものなんだな。

 

もう忘れたい気持ち、忘れて欲しくない気持ち、新しく芽生えた気持ち、不安な気持ち、恥ずかしい気持ち、悔しい気持ち、いろんな気持ちが全身を駆け巡って、最後に涙になった。

 

おしまい

 

6/7 いっぱいいっぱい

頭の中のモヤモヤがまた、だんだん溜まりだした。

考えすぎるタイプって言われたから、一生懸命考えないためにはどうしたらいいんだろう?気楽に考えるためにどうしたらいいんだろう?ってまた考えにふけってしまった。

 

結局、考えすぎないためには、一個のことだけで頭をいっぱいにする、ということに落ち着いた。皮肉にも一つのことしか注力できない不器用な私にはもってこいの考えだった。だからここ最近は悩みなんてなかった、やることが決まっていたから。だけどだんだん余裕が出てきたのか、他のことも考え出すようになってきた。本当は終わるまで最後まで一つのことだけに注力したかった。だけどダメだった。一度よそ見するともう囚われちゃって。

 

そうやって一瞬にして私の頭をいっぱいにしてくるからズルい。もうすぐ言い訳が尽きちゃうよ。

 

いまの私には、断るエネルギーも向き合うエネルギーも残ってないというのに。

 

 

おしまい

5/20 悲しい女

女子とは、話題に事欠かない限り友情を保つことができない生き物である。その代わり友達に何か大事件が起これば、驚異の結束力を生み出すものだ。

友達が恋をすれば緊急会合が始まり、友達が失恋をすれば大愚痴大会が始まる。

共通の話題があってこそ女子の友情は成立するものだ。

いま、以前仲が良かった友達と疎遠になってきている。あれほど毎日連絡を取り合っても、結局学校や恋と言った共通項がもう無いから連絡事項もなくなるし、連絡もしない。どちらかの私生活がうまくいっているとわざわざ幸せ報告することもないし、例え新しい恋愛をしたとしても頑張れ!とか、誰にでも言えるようなモテテクアドバイスくらいしか言いようがないのでイマイチ盛り上がらない。

悩みがあって相談したいという要件があったとしても、だいたい答えは自分の中で決まっている。答えに気がついてないだけ、もしくはその答えに納得したいがために相手にうんうん、そうだね、と頷いてほしいというプロセスに過ぎない。

結局、相手と共有できる感情や話題がないと女子はお互いを繋ぎ止めることができない悲しい生き物なのだ。そしてそのことに気がついた悲しい女子は、その寂しさを補うために男に逃げるのである。

男にしか埋められない穴が女にはある。それに気がつくことが、大人への一歩なのだろうか。

嗚呼、悲しい。


おしまい。





5/8 八つ当たり

最近、友達に八つ当たりするようになった。

そんな自分がめちゃくちゃ嫌いで、そしてまた八つ当たりした。

正当化するわけではないけど、八つ当たりして思うのは、少し大人になったのかなということ。


大人になるということは、いわゆる「オトナ」でいることではなくて、

大事な人が居て当たり前ではないという怖さを知ること、

でも大事な人はちょっとやそっとでは居なくならないという小さな自信、

自分の大事にしてきた何かを手放して、自分を解き放つという勇気、

そして大事な人のために戦い続けるという強さ。

それをごちゃごちゃにして大人になっていくということ。


喧嘩なんかしないと思っていた人と喧嘩できるようになるまでになった。お互いに我慢をするということを我慢できるようになりだした。

たくさん傷つけたことを物凄く後悔してる。

だからこそ23歳最後の日に一緒にいて、笑って過ごせたことを感謝しながら24歳を迎えたい。

ありがとう。


まだまだな私を
つまらない顔ひとつせず
おつまみ越しに
みつめながら
おせわする

そんな君が好きだーーーーーーー!!!



おしまい

5/1 sweetest day of May

5月になりましたね。5月といえばこの曲。


5月になるとハウスのパーティではどこでも必ずかかってますね。この曲を誰がかけるか、というDJの駆け引きなんかも面白かったな。私が往年の先輩メンズDJに囲まれてパーティした時は緊張でカッチカッチになってたのをみて、先輩方が最後の最後までジリジリと抑えてくれて、クローズの私にこの曲と見せ場を譲ってくれ、自信をつけさせてくれた、なんていう良いエピソードなんかも。懐かしい。

誕生日月だからか、思い入れが強く、Sweetest day of Mayは私のためにある曲だー!なんて思いながらよくかけていました(笑)Do Betterと並ぶ私の十八番曲。バースデーバッシュは、お祝い(akaテキーラ)を受けまくりながら懸命に生きてた思い出があります。どれもこれも今となっては良い思い出。

まるでレコードを集めるかのように音楽とともに思い出が積み重なっていく。

今年もたくさんの人、音、景色との出会いがありますように。

今日もレコードは回り続ける。

おしまい。