9.11

9.11から13年が経ちました。世界はどう変わったでしょうか。

 

9.11は私の人生を大きく変えた出来事です。

 

<自分の話>

9.11が発生したとき、私はカリフォルニア州ロサンゼルスに住んでいました。LAはちょうど朝で学校に行く前の時間。お母さんに呼び止められて、テレビを見て愕然としました。飛行機がビルに突っ込んでいるのです。小さい頃に家族と一緒に実際に上ったあのビルに、飛行機が突っ込み、煙が出て、そして崩れさっていったのです。

 

崩れ去ったのはビルだけではありません、みんなの心も、平和の心も崩しさっていったのです。

 

学校では毎日、アメリカの国旗に向かってpledgeをし、フェンスに祈りを込めた紅いリボンを結んでいました。事情が入り込みすぎて小学生の私に何がなんだかわかるはずがありませんでしたが、とにかく大惨事が起きたことだけはわかるので、毎日違う国の祈り方、文化だと思いつつも、祈り続けていました。

 

しばらくたっていじめが始まりました。子供だから仕方がないと思うかもしれないですね、でもびっくりすることに、大人もなんですよ。肌の色や格好だけで、イスラム系の人を悪者扱いし、いままで仲良くしていたまわりの友達同士で喧嘩が起きたりする毎日でした。でも、先生も大人も、実はどうしていいかわからない、誰を信じたらいいかわからない、そんな混沌の中にみんないたのです。

 

子供だったから当時は、政治がどうとか世界情勢がどうっていうのはわからないし、子供の友達関係まで影響しなければならなかったのか、当時はかなり理解に苦しみました。

 

父親は、9.11のニュースをみてすぐ戦争になると言って、仕事をやめ、私たち家族を連れて日本に帰りました。実際に、そのテロが発端で、アフガニスタン紛争と、イラク戦争は起きたわけです。ほとんどが、アメリカ国外での武力行使だったわけですが、国内外で多くの人がその戦争によって人生が狂わされ、なくなったのです。

 

日本に住んだことがないので、帰るというのもあれですが、結局危ないから逃げ帰ったわけです。9.11にニュースをみて、11月には家族全員で親の実家に住んでいました。そして年明けには県外に引っ越しをし、父親は新たな職場で、私は新たな学校で、生活していました。父親の懸命な判断、先見の明、今でも尊敬しています。家族を守ったわけです。平和な国、日本で。平和だから帰ってきたんです。それでは今はどうでしょう、平和なのでしょうか。。。

 

日本での生活もいいものではありませんでした。それほど、日本語もうまくなく、突然日本にきたため、環境に順応するのが大変でした。いじめにもたくさん遭いました。思ったことが、日本のいじめは幼稚であること。島国で、ほとんどが日本人という環境であるため、どうしても異物排除的な思考が働きます。海外では多文化共存が当たり前だったので、いじめもその軋轢から発生するものでした。とある環境に適応しないから排除しようとする日本と、自分の環境を守るための交渉から発生する軋轢、子供ながら、いじめ文化の違いにもびっくりしました。

 

いじめに遭って、さらにアメリカで体験したもやもやが増えました。日本はこんなに平和でいい国で、多文化が入り組んでいない国家なのに、なぜ自分がいじめられなければならないのか、と。そのもやもやを担任の先生に相談したら、平和スピーチコンテストにでることになりました。日本語もうまくなく、親や先生に手伝ってもらいながら一生懸命私は自分のもやもやをたくさんの人に伝えたいと大会にでました。

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そのときの大事にとってあった原稿。

 

この頃はまだ、心に詰まったあれこれを、知識でカバーできなくて、色々勉強しなきゃって焦っては、追いつかず。それでも伝えようと、一生懸命だったんです。いまこの原稿を読み直しても、自分の気持ちがこの頃から一切変わっていないことを確認しました。いまでは大学に入り、いろんなことを経験して、勉強して、あの頃のもやもやをひとつずつ解消しようと、過ごしている毎日です。 

 

 

 

<9.11そもそもの発端について理解しておく>

この事件を見ると、アメリカは被害者であり、報復を行うための正当な理由があるように思えますが、本当にそうなのでしょうか。このテロのそもそもの発端は、アメリカにもあるとも言えます。

 

自由と民主主義を掲げるアメリカですが、実は目をつぶっている国たちがあります。それが、中東の国です。アメリカという巨大な国が故、エネルギー問題がもちろん発生します。民主主義でなかろうと、石油系国家は、アメリカにとっての命綱でもあるわけです。そこで、親米なら独裁主義でもいい!とアメリカは考えていたのです。

 

アメリカの当時の大統領、カーターは、石油系国家とそのエネルギーとアメリカを守るために、理由の如何に問わず、ペルシャ湾海域支配のために、外部勢力への攻撃を宣言したのです。そうして、イラクがクェートに踏み込んだことをきっかけに、宣言どおり91年の湾岸戦争へのアメリカの介入もあったわけです。

 

しかしそこで怒ったのが、イスラム教徒の人たち。なぜなら、そこはイスラム教徒にとっての聖地、メッカ(メディア)がある場所だったのです。敬虔なイスラム教徒の人々は、そこに異教徒文化の人が踏み込んできたことが許せず、激怒したのです。

 

それがきっかけで、敬虔なイスラム教徒であったウサマ・ビンラディンは、過激思想に走り、10年かけてテロリストを育成し、これへの報復を準備、実行したわけです。(もちろん、この報復が許されるわけではありませんが。)

 

 

イスラム教への偏見> 

 イスラム教徒のイメージは、攻撃的で過激なイメージがあるかもしれませんが、そうではありません。普通の営みをしているイスラム教徒の中に、比較的厳しくコーランに書いてある教えに従う、原理主義者という集団がいます。この集団は、敬虔なだけで攻撃性はありません。しかし、その原理主義者の中で、解釈を過激な方にとらえてしまい、過激派になってしまう人たちが少しだけいます。普段は、 人には攻撃しません。イスラム教偶像崇拝が禁止なので、世界遺産であるバーミヤン石像を破壊した、っていうことならあります。しかし、イスラムを守る戦いで死んだら神様のそばに行けるという教えがあるため、報復やテロがイスラムを守るという理由で事件が起きてしまうことがあるのです。

 

イスラム教は世界の5人に1人の割合でいます。しかし、イスラム、キリスト、ユダヤ、は唯一神なのです。同じ神を信じています。できた順番は、ユダヤ、キリスト、イスラム、と言われています。同じ神から、言われたことをするように使者がくるものの、守らないので、新たな使者がきて、言い伝えるというようなことがおこるうちに、3つの違う宗教がうまれたのです。(かなーりざっくりですが)

 

イスラエル、ガザ攻撃、パレスチナの問題>

これも実は、9.11に関係していると言えます。

 

ユダヤ教では、パレスチナは神がイスラエルの民に与えた約束の地であると説かれています。しかしユダヤ人はローマ帝国にその地を追い出されます。追い出された後に、ヨーロッパなどに散り散りになって生きていましたが、様々な理由で迫害にあいました。のちにユダヤ教から分かれてキリスト教が興ると、その聖地として世界中の信徒から重要視されるようになりました。さらに、ユダヤ教キリスト教の影響を受けアラビア半島に興ったイスラム教も当然エルサレムを聖地としたため、諸宗教の聖地としてエルサレムを擁するパレスチナ宗教的に特別な争奪の場となったということです。

 

その後、第二次世界大戦が終わって、自分たちの地を失ったユダヤ人たちが戻る地がないまま世界中を彷徨っていると、勝戦国(アメリカなど)に、パレスチナに帰るよう言われたのもあり、また、ナショナリズムで自分たちの国を再び取り戻そうという声があがり、この地に戻ってきたのです。そのような歴史も、いまのガザ地区での攻撃などが発生している要因の一つになっています。

 

まぁ、かなりざっくりしていて、もっと本当は難しい問題はあるのですが、アメリカもアメリカでほかの国に介入しすぎということです。世界の警察ぶっていろいろ手を出しているから余計な反感を買っているのも事実なのです。

 

 

<超大国としてのアメリカ>

アメリカは、世界の警察、リーダーとして、正解有数の超大国(技術、軍事大国)として、今後どのような展開を見せなければ行けないのか。中国の海洋進出の牽制、ロシアの動きの監視、国際秩序、これらをアメリカが全部背負っていくにはもう限界点に達しています。世界のリーダーがいなくなってしまった状態だと世界はどうなるのか、その危機管理も日本は考えなければなりません。

 

世界の問題ですから、日本だって世界の一部なわけです。ボケーっとニュースを見ているだけではだめなのです。日本は平和ぼけしすぎていて、世界を意識しなさすぎていて、このままでは取り残される、もしくは他国の情勢に飲み込まれてしまいます。

 

9.11なんかは特に日本は関係ないっていう感覚を多くの日本人が持っていますが、日本人だって24人亡くなっているわけですし、全く関係ないわけではありません。戦争に加担してないと思っているかもしれないけど、同盟国の助けの声に応え、給水活動、医療活動、給油活動だって、敵国からしてみれば恨みを買うこともあります。人道支援として、地雷の排除は、日本ではいいニュースのように報道されていますが、埋めた側からしたら、何してんだ!と思われても仕方がないのです。私たちが思う善意は必ずしも、世界共通の善意ではないのです。

 

同盟国を選ぶのも、どういう活動を行うのがいいのかも、考えものなのです。日本国民がしっかり勉強をして、選挙などで信意を問えば、社会は変えられるのですから、利用しない手はないのです。

 

集団的自衛権

では、その同盟国アメリカの力が弱くなれば、日本も自国の安全をアメリカに頼ってばかりではいられません、どうしたらいいのでしょう。国を守るべき措置が必要だということで、いま問題になっているのが、集団的自衛権集団的自衛権公使は、世界でも有数の平和立国の日本をどう変えてしまうのでしょうか。現段階では、(8.11)閣議決定されただけで、だからといって今は何も変わりません。これからの、具体的な法整備などが進められていかなければなりませんし、結局これがどういうことも国民がわからないまま、国も話を進めるわけにはいかないとは思うので、これも国民の反対が多いので、信を問う選挙が必要でしょう。どちらにせよ、集団的自衛権は、戦争をできるようにすることではなくて、あくまでも危機管理として国を守るための措置であるということを、理解しなければなりませんし、では、集団的自衛権がいやなのであれば、私たちはどのようにして自国を今後守っていかなければならないのかを考える必要がありますね。 

 

 

<最後に>

だいぶ、9.11の本題からは離れてしまいましたが、、、

とにかく言いたかったことは、日本はどんな国であれ、世界の一部なので、もちろん世界情勢の一部なわけです。それを意識できていない人が多すぎます!なので、9.11からみた当時から今の他国や日本の問題は意外な点でつながっているということ、を伝えたかったです。

 

でも、いろんな勉強をして、事実を知っていくうちに、消える心のもやもやと、増えるもやもやがあります。小さな子供の喧嘩でも、大国同士の戦争でも、同じなのです。9.11でなくなった人と、それが発端で起きた戦争での死者の数を比べても、仕方がないのです。どっちが多いから、どっちが悪いから、なんてどちらも言えないのです。

 

正義の反対は悪ではなく、また別の正義なのですから。 

 

だからこそ、私たちの中で、大事なものは何か、常に考える必要があると思います。

 

 

おしまい。