3/2 グローバルシチズン

帰国子女特有のアイデンティティークライシスをご存知でしょうか。主に帰国子女やハーフといった人に多いのですが、自分の国籍や引き継いでいる文化や住んでいる場所などの軋轢から自分のアイデンティティーがわからなくなることです。海外にいると、自分どこの国属しているのかわからなくなってしまって悩んだり、孤独感に襲われたりします。


私もどこへ住んでもガイジンと呼ばれ自分が何人でどこの人なのか長く悩んできました。自分でこのクライシス決着をつけるための決断としては「日本語を第一言語とする」と「日本の大学に通い、自分の中の日本のイメージを良くする」でした。今の所その目標は達成されています。日本人で良かったなと思える場面を体感することができて幸せです。


しかしそれは時代遅れみたいですね。
帰属意識がないとダメという脅迫概念みたいなものに私は捉われすぎていたのかもしれません。または、それは帰国先が日本という国だったから起きた心理現象なのかもしれません。

日本は地理的にも海に囲まれる島国で、世界の先進国にしてはかなり閉鎖的な国でしょう。東京は国際都市と言われますが本当にそうでしょうか。日本人は日本人であることにプライドを持っていますし個よりも和を大事にします。これは決して悪いことではありません。しかしそれは過剰な「他所は他所、うちはうち」精神として表れているところもありますね。留学の広告でよく「世界へ飛び立て」「海外へ出て活躍しよう」などの謳い文句をみます。「日本の外」「海外」「外人」という言葉にもその精神が滲み出ているように感じます。


そういう国に外国文化で育った人が帰ってきたら、和になんとか入らなければやっていけない…と、帰属意識に捉われてしまうのも仕方がないのかもしれません。それに一生懸命になって、クライシスは起きてしまうのではないでしょうか。


日本人は優しいお国柄を持っています。誠意を持って人に対応します。和に入れようとします。しかし今の時代必要なのは、和に誰かを入れることではなく誰もが自分で立てる場所を作ることじゃないでしょうか。和に入れようとすれば必ずあぶれる人がいます。そういう和を広げるのも大事ですが、今のグローバルな時代にはそぐわないと思います。誰もが自分の個性やアイデンティティーに自信を持って自分の力で立てる地盤作りが大切な気がします。こういう地盤が整っていないから優秀な人材は日本から流れ出てしまうのでしょう。彼らが活躍するにはある意味狭すぎる国からです。

(余談ですが、東日本大震災では「絆」という言葉が流行りました。とてもいい言葉です。ただ私には違和感しかなく、その心や手を繋いで絆というイメージから脱却して、地球という所で繋がるというイメージにシフトしていかなければいけないのかなと思ったりします。日本人だけ悲劇のヒロインに浸っているように見えるのです。そうではなく世界の損失であるという考えがどうも日本人にはかけていよう気がします。日本だけの傷だけではない。その時点で気持ちで負けているのではないですか?復興は人の気持ちからです。傷口を見せて色んな人に構ってもらおうというはそろそろやめませんか。)


グローバルシチズンという言葉があります。私たちはどこかの国の人ではなく、地球の人なのです。グローバル化が進む世界ではもう国という概念は形だけです。私たち個人が自分の独自の文化持った国といっても過言ではありません。国を背負って世界で戦っているのではありません、地球を代表して地球に立っているのです。みんな地盤は一緒、そこで自分のアイデンティティーを見つけてしっかり地に足をつけて歩むべきだと私は思います。

アイデンティティークライシスで悩む人はたくさんいますが、もうそんなことで悩む時代ではないのかもしれません。帰国子女なんて言葉ももはや死語です。根本的にクライシスに陥る必要はないのかもしれません。地球に生きているだけなので帰るも何もありません。


帰国子女のアイデンティティーに限った話ではありません。2020年の東京オリンピックパラリンピックで世界中の人が日本に集まります。その時に私たちはグローバルであると言えるのか、地球の代表として地球のみんなを迎えることが出来るのか。

考え方一つで、もっともっと世界は変わります。もっともっと世界のことを自分事だと思って広い視野を持って、自分に自信を持って、世界に生きていくべきだと、私は思います。



駄文おしまい。