7/30 追いかけて挫けたその先に

最近SNSで色んな美談などが飛び交っていて、なんか引っかかるというか、騙されている気がしてならないなと思うことがしばしば。
 
たまたまfbで回ってきた、横浜スタジアムで選手が子供にボールを渡そうとしたところを、中年女性が子供に脇目も振らず勝ち取って大人げない、許せない、夢を奪うな!というようなブログ。
 
確かに、選手は子供にあげようとしていて、女性の行動ははたから見れば大人げないし、自分だってその場にいたら空気を読んで子供に譲っていただろう。だが、それは、許せない!子供の夢を奪うな!とかそういうことを書いてブログにアップして拡散するようなことなのだろうか…
 
夢を持つことはいつも子供が優先なのか。大人気ないことは良くないことなのか。大人になってからも夢中でいることはダメなのか。
 
大人になるにつれて子供が学ばなければいけない世の中の理不尽なところだったりします。ネットで犯人探しをしろっていう声があがる中、いちいちそんな非難や犯人探しをしなくてはいいのでは!という意見までは分かります。ただ、その女性に対して野球ファン失格とまでいうのはどうなんでしょう、、、好きなことがあれば無我夢中になることはあります、でも大人がそうなってはいけないのでしょうか?大人だって夢はみていいはず、夢中になっていいはず。だからって子供から物を奪う行為も認められませんが、それを、子供だからっていう理由だけで諦めたり、譲ったりするのも、どうなのでしょう。
 
大人が子供に夢を与え続けるということは、その機会や夢を実際に大人の手によって買い与え、叶えてやることでは本来ないはず。明らかに叶うように土壌を整えてやることではないはず。大人としての役割は、大人が夢を見て、それに向けて努力すること、苦労すること、自分の手で勝ち取ることを見せることではないでしょうか。子供が夢を見つけたら、それをあくまでも見守ってサポートするのが大人の役割なんじゃないかと。大人の夢中になる姿、それを見て育つ子供は多いはず。子供が追いかけるべき背中は野球選手だけではなくて、その球場にいる大人たちが一生懸命野球を好きで居続ける姿でもあるはず。
 
 
そして1番気になったのが、傷付いた少年の心のケアを!というところ。子供が傷付いたかどうかなんてその人には本来わかりやしない。少年を傷付いたことに大人が勝手にしているのではないか。大人がそういうことを言うから子供が傷付くことを知って甘えてしまうのではないか。そういうこと言うから、逆に夢がなくなるのではないのでしょうか。
 
今回がダメだったら、また球場に行ってチャレンジすればいい、今回は叶わなかったけど、また夢を見ることはできる!追いかけることができる!次はもっと工夫してボールをもらいに行けばいい。体格や力で対抗できないなら、何で対抗してそのボールを追いかければいいのか。そんなことを子供は自ずと考えるかもしれない。
 
でも、大人たちは、少年たちを勝手に傷付いたことにしてしまう。そんなことをしたらそこで終わってしまう。全部その悪い大人のせいにしてしまって、そこで成長が止まってしまう。そんな気がしてやまないのです。子供が自ら考えて育つチャンスを大人たちは、知らず知らずのうちに摘み取っているのではないかと思うことがあるのです。本当の教育ってなんだろう、本当に子供の為になることってなんだろう。
 
 
そんなことを考えていました。いつか自分に子供ができたら、色んなことに挫けながらも、強く、賢く、逞しく生きてほしいなって思いました。
 
 
夢ってなんだろうね。大人になるっていうことはどういうことなんでしょう。
 
 
おしまい